「嫌なら出て行け」 「嫌なら2金、または1点を獲得します」 「嫌なら隣のプレイヤーにその権利を渡します」 「嫌ならDAOを生成する関数を返します」

コミュニケーションをとる両者にそれぞれ勘違いマージンがあり、事実はだんだん多様に解釈されていく。

連想は飛躍しうるものなのに、誰かに伝える段階では飛躍しないように気をつけて説明する必要があり、それぞれの特性の違いを吸収するための方法が必要

天才論みたいな領域のポエム話が流通する昨日今日、ふと「ブラジルから来た少年」のことを思い出した。あれは逆説的に「カリスマが生まれるのは確率論的な問題(たまたま)」であると言ってるのではないだろうか。

自動的に一部を間違え、変種が拡散する仕組みのリブログ

イッツオンリーパンチラインズ、みたいなことをヒップホップのひとが言ってそうだが詳しくないので知らない。とはいえパンチラインというのは経験の圧縮に他ならないので経験そのものはどこで捕まえてくるのかという問題はあまり検討されない。

「著者名」がただの「執筆者タグ」になる日は来るのか。

連れがオタで言ってることが分からない件、という漫画に限らず、異文化衝突エッセイに感じる違和感(それが事実であれ虚構であれ)。

a.「文化が違う!」と言ってるところでプロトコルが成立しているからそんなに深刻な断絶面白にはならない。せいぜい「王子と乞食」や「お忍びで城下に姫様が!」程度の揺らぎにとどまる。

b.プロトコルが成立したときのプロトコルそのものの偏りと貧しさに主人公たちが気づかないからか。ビレバンやドンキで「何でもあるね!」とくつろいでしまうことへの居心地の悪さというか。

参考予定文献:「恋人たち」

tumblrですら書き始めると読者がいるかのようなフォローを入れたり、前後の体裁を整えようという意識が働くので、断片部推奨クライアントは書き始めから時間を切って勝手に投稿するような機能を搭載する仕様です。

インターネット以降の古典的マニアの困難さ (a)

店長が飲んで twitter でぼやいていたのだが、ボードゲームという趣味世界では評価のスコアがことさら気にされる。

映画に喩えると「タウン誌でいちばん大きく取り上げられてる娯楽大作映画は皆観に行くが、それ以外のものにはあまり興味を示さないんだよな、そしてそのタウン誌ってのが映画ファンが投票で作ってるから困るんだよ」といったことを街のミニシアターの支配人がぼやいてるのに近い。

ユーザがスコアを集計するサイトが主なメディアになっているという問題は確かに大きい。ショップの売り上げに直結するんだから売り手にとっては死活問題ではある。

しかし買い手にとってもそれは同じであり、一個5000円のゲームは映画で言えば3本分に相当するわけだから慎重に買わざるを得ない。

(…そういえば月5,6本映画を観ることにしてる私に店長は「無理して観てない?」とかなんとか言うのだが、金換算で言えば、その心配は月2本くらいボードゲームを買ってる人達にも当てはまる。そしてまさにそれくらいのペースでコンスタントに買ってくれる客をボードゲームショップは欲しがっていると思うんだけども。あとDenkikanは1000円で映画観られるので余裕だし一人でできる趣味なので全然負荷はかからない。そもそも月5,6本は「興味がある」レベルで趣味のうちには入らないだろう。)

話戻って、評価サイトのスコアの話。まぁ確かに普通気にする。しかしそれだといつまでも特定のものしか売れない。

どうしようか。「日本取り扱いから一定期間は、評価サイトのスコア表示をOFFにして…」それは一つの案だが、まぁ運用が大変だろう。それに、それは逆に評価サイトがそれだけ発言力の強いものだと認めていることにほかならない。

評価サイトってあれですよ、ビデオゲームでいうと Playstation mk2 みたいなサイトですよ。テイルズオブなんちゃりあ、みたいな机のかどっこゲームに「システムはいい」「世界観にひきこまれる」とか十代の子がしかつめらしく点数つけてたりするスコアの平均が、40代になんなんとするゲームおっさん、楽しみなゲームはギアーズ3、みたいな人にとってどれだけの価値があるっての。

簡単に言うと、多くのユーザーが評価サイトを鼻で笑えるほど成熟していない。しかし成熟してない、と言われてもクソゲーは買いたくない。となるとそれは評価サイトの責任というより回りのメディアのせいなのかも知れない。

なぜこんなことになってしまうのか、というのを「それはインターネットのせいだ」と書こうとしてタイトルにしたがだるくなってきた。仮説をざっと書いておくと、「自称マニア」って言ってる人はマニアでもなんでもなく(ドイツのゲームをやってるのにドイツ語読んでる人はごくわずか)、インターネットに情報が置いてあるのに安心してるだけ。もう一つは評価サイトで、感想とスコアを書く欄があったら、そりゃおちょぼ口で「システムが…」と書いてしまうし点もつける。それらが古典的なマニアの育成を阻害しているんじゃないの、って話。

個人的には「そこでN氏が奇跡の一手w」みたいなボドゲブログの文体にもぺっぺっと思うけど、それはほとんど藁人形なので。でも「氏」とか「w」とか、かっこわるいからやめたほうがいいと思いますよ。 (あー個人の意見ね個人の。特定の語法が悪いというか、文体が固まって しまっていることへの懸念。書いててほんとに面白いですか? っていう)

「机のかどっこゲーム」については「アマゾンプロダクツ 遊びのラジオ」を参照してください。